【大発見】復元したらビックリした「日本美術ベスト3」!
小林泰三
こんにちは。アートスクールで芸術学を担当しています、オンライン講師の小林です。
本業は「デジタル復元師」と言って、Photoshopや3Dソフトを駆使し、美術作品の作られた当時の姿を復元しています。
すべてをコンピューター上で行うので、”デジタル”と頭につきます。
この変わった肩書の私が担当する美術史ですが、今伝わっている「枯れた姿」ではなく、当時の人々が感動した「本当の姿」を通して解説しているワケですから、アートスクールの日本美術史や西洋美術史は、やっぱり普通とは違っています。
(そこが魅力で、はまっている方もいらっしゃいます)
考えてみてください。
特に日本美術に言えることなのですが、美術館に並んでいる作品は、表面が傷ついていたり、風化で色あせていたり、本当の姿をしていません。
もちろん、その風合いが素晴らしいので、人々を感動させるのも事実。
でも、もともとの姿を知らないまま、当時の人々の美意識を知ることができるでしょうか。となると「わびさび」を理解するのも困難です。
いかに本当の姿を知ることが大切か、裏を返せば、「いかに伝わっている姿が本当の姿と違っているか」。
ここは、私が手掛けた復元作業のなかで、びっくらこいたビフォーアフターを紹介して、本当の姿を知る大切さを具体的に紹介しましょう。
3位 興福寺 阿修羅像
まるで少年のような憂いを秘めた表情が人気の、興福寺の阿修羅像。仏像ファンならずとも皆さんがよく知っている、超有名な仏像です。
正面と左右に顔があり、腕も六本。異形なのに、それを感じさせない不思議な魅力にあふれています。
《1阿修羅像_復元前》
その阿修羅、もともとは「戦いの神」だったのをご存じですか?
今は、何も持っていませんが、掲げた手には太陽の金の玉、と月の銀の玉、中間の手には弓と矢が持たれていたと考えられています。(一番下の手は、そのまま合掌をしていました)
そして、戦いをする神ですから、常にエネルギーに満ち、像によっては威嚇をする憤怒の表情をしています。その様子を赤で表わすのが通常です。
そのつもりでよく見ると、少年のような阿修羅像にも耳の後ろや、腕の付け根などに、赤の顔料があせることなく残っているのが分かります。
そうです、実は興福寺の阿修羅像も、真っ赤っか、だったのです!
《2阿修羅像_復元後》
で、復元してみると、こんな姿に!
あの憂いに満ちた、悩ましい表情はなくなり、元気はつらつの姿に豹変しました。
しかも、髪の毛は金髪! 細い細い金箔が丁寧に張り付けられていました。
さらに衣装の華やかなこと。ショートパンツの柄は、まるでアロハシャツのようです。
この衣装と金髪などから、この姿を見たある人は「サーファーのあんちゃん」と言っていました。
そう言われてもしかたありません。正直に復元したのに、なんか、「ごめんなさい」という気持ちになってしまいます。
2位 日月山水図屏風
もしかして知らない方が多いかもしれません。
河内長野市の金剛寺に所蔵される「日月山水図屏風」は、おととし国宝になったばかりの作品です。
「日月」と書いて「じつげつ」と読みます。室町時代に制作されたと推定されますが、それ以外は知られておらず、作者でさえ不明です。
阿修羅像に比べてポピュラーではありませんが、美術ファンでは有名で、白洲正子、橋本治、杉本博司、茂木健一郎などなど、数多くの著名人もその魅力の虜になっています。
何がそんなに人々を惹きつけるのか。それは、あまりにも大胆な表現です。
《3日月山水図屏風_復元前》
どうでしょう、右側の屏風の山々。
もっこりもっこりとリズミカルに配置され、まるで左のうねる水の方へ、流れ込んでいくかのようにも見えます。
そして、左側の屏風は、大きく波打つ雪山に、ダンスを踊るかごとく身体をくねらせる浜辺の松。
あまりにもその特異な表現に、見るものは驚き、いつしか魅了されてしまうのです。
私も魅了されたひとりです。そこで早速デジタル復元をしてみたのでした。
古くから、屏風と言えば金屏風。四季図や山水図ともなれば、なおさら金のゴージャスな画面が期待できます。
全体的に黄色っぽく変色していた画面で、私は、この屏風にも金が多用されていると勝手に思い込んでいました。
《4日月山水図屏風_復元後》
でもご覧ください、背景は銀色でした。銀が参加して黒くなり、風化で汚れて黄色くなっいました。
そして鮮やかな緑。グリーン&シルバーの実にすっきりとした、そしてクールな画面だったのです!
今の感覚で見ても、モダンな色づかいではありませんか?
室町時代と言えば、次の安土桃山時代の茶道から本格化する「わびさび」が始まる時代。
そんな時代に、日月山水図屏風のような、モダンな感覚があったなんて驚きです。
いや、それまでの雅な貴族文化、清廉潔白な武士の文化に対し、いきなり枯れ切った「わびさび」が生まれること自体が不自然で、はやりこのようなクールでモダンな文化が間にあったと解釈することができるでしょう。
だから、もとの色に戻さないと、日本美術の真相が分からないのです。
1位 東大寺大仏殿(内観)
はやり、なんともビックリなのは、奈良の大仏様でした。
《5大仏殿内_復元前》
今見る大仏は、色が黒いですよね。しかし、とにかくその大きさでビックリです。
1300年以上前の奈良時代で、すでに現代人でも難しい大仏を作ってしまうのですから、その迫力で見る人は満足してしまい、それ以上の思考は停止してしまいます。
まして、畏れ多くてそのお姿を変えようとは普通の人は思わないでしょう。
しかし、私にはその機会がめぐってきました。
きっかけは放送番組で、創建当時の大仏殿を復元しようというものでした。私はその内観の色彩を担当し、調べていくと、銅に金メッキを施していることがすぐに分かりました。
…ということは、こうなります!
《6大仏殿内_復元後》
まさに想像以上の世界が展開していました。奈良の人々は、本当に度肝を抜かれたことでしょう。
ちょっと興奮が冷めて観察しなおします。実際に復元してみて、納得しました。
「奈良の大仏は、やはり大陸から伝わってきたのだな」ということです。もちろん聖武天皇が奈良の地に作ったのは間違いないのですが、私の言いたいのは、その表現は大陸からの輸入そのものである、ということです。
今も東南アジア、タイとかの寺院で、大仏は金ぴかになっています。
それがもともとの姿なのです。日本は、それがだんだんと色あせることを良しとして、そのままにする習慣があったことが、そこから浮かび上がってきます。
まとめ
いかがだったでしょう、「復元したらビックリした『日本美術ベスト3』!」。
「わびさび」という美意識は日本人独特なので、それを誇りに思うことはもちろん大切なのですが、もともとは日本人もド派手が好きで、その文化は大陸からの直輸入であることを、しっかりと学ぶ機会はきっとなかったと思います。
でも、そこらへんをしっかりと押さえないと、時の移ろいに感動する文化、そこから生まれる無常観、などをすんなりと理解できないのです。
そのために、多くの人が日本文化はちょっと苦手、あるいは雰囲気は好きだけど、いまいち理解できない(表現できない)、という、”もやもや~”した感じになってしまうのかもしれません。
アートスクールの美術史の講座は、復元した画像も使用しながら、そこらへんの”もやもや~”をすっきりできるように、分かりやすく解説しています。
日本文化を理解して生活を豊かにしたい人、あるいはその知識と意識を作品に生かしたい人、幅広く多くの方に楽しんでいただける【芸術学】の「ざっくり〇〇美術の流れ」シリーズにどうぞ参加してみてください。
きっと、明日からの暮らしがちょっと豊かになること請け合いです。
小林 泰三
- Profile
- デジタル復元師、彩色家
学習院大学哲学科美学美術史卒。
卒業後、大日本印刷の企画部門に就職。
'04 小林美術科学設立、日本美術のデジタル復元本格的始動。
'06 NHK特集「東大寺 よみがえる仏の大宇宙」大仏殿の色彩復元を担当。
'14 朝日新聞「be フロントランナー」に紹介される。
'15 彩色監修したNHK「カラーでよみがえるTOKYO」が菊池寛賞受賞。
光文社新書「誤解だらけの日本美術」など、著作多数。